創作秘話 「三太郎の記紀」創作秘話 「三太郎の記紀」2016/8/5我が家には三太郎と言う飼い猫がいた。家人の喫茶の客が拾ったと言って前掛けのポケットから取り出して、 「飼ってやってくんない」と猫なで声で言った。そして、私の急所を掴む言葉を付け加えた。 「猫を飼うと心臓にもいいし、精神の安定、自律神経系統の病には都合がいいのよね」 家人は其の駄目押しともいえる病と言う言葉ですっかり飼う気になった。 私の人生は自律神経失調症との戦いで、常に頭痛に苦しんでいてアイスノンを入れた鉢巻は取ることができない状態であったのでそれに効くのならと快く快諾したのだった。 三太郎が来て心いやされる事は多かった。イライラすこともあったが、見ていてなんだか安らぐことが多くなっていた。 私が原稿を書いていると横に寝そべり尻尾を私の膝の上において眠るのだった。まるで娼婦のように挙句は言わないが愛情の表現をしてくれた。 こ奴の愛に報いるのにはどうすればいいか、色々と考えていたのだが、猫の病に効く食品を買い与えることしか思い浮かばなかった。それと言うのも腎臓結石で何度も動物病院に担ぎ込んでいたから少し高いが其の食料を買い与えてそれを防ぐという目的で買うことにした。 三太郎が私と過ごした四年間は自律神経は暴れることはなく頭痛も時に出ると言う平安な日々が続いた。 四年目の正月、三太郎はころりと亡くなった。 私は惜別の詩を書いたが、それでは申し訳ないと台本を書き上演することで哀悼の念を表し、感謝の言葉に変えようと思った。 猫、三太郎は人間を、人間の社会をどのように眺めていたのだろうか、私は猫語を勉強していないので聞いていないが、色々と三太郎の動作や、物憂げな眼差しを思い浮かべて考え想像を広げて、人間を失笑する、批判する作品を書くことにした。動物としての人間の在り方を、同じ動物しての仁義について書き込んでいった。 自然に対しての人間の傲慢を猫が注意し諭す物語を書きすすめた。 それは私が猫になり三太郎になりきってなくては書けるものではなかった。 言ってみれば私の三太郎への恩返しの愛情表現であった。 愛猫家の心が読みとれたことも私の進化であったと言えよう。 書きあげて子供たちと一緒に芸文館大ホールで公演した。 そこにはなくなった三太郎がいた。こころのなかに生きている三太郎が芸文館の舞台で自由にものを言い、跳ねまわっていた。 これは私が三太郎にささげる惜別の歌である。 三太郎のぬくもりは、何時も尻尾を私の体の一部においていてくれたそのぬくもりであることが私へのいたわりの行為だったとして今でも心と体に残っている。 別れ、悲しい事は二度としたくないとの思いで、当分猫を飼うことはしなかった。 二男の嫁が拾ってきて飼うことになった、九太郎と名付け互いの心の交歓をしたが、永く一緒にはすごせなかった。三太郎と同じ病に倒れた。 九太郎の物語はドラマにはしなかったが小説としてささげている。 動物が動物を飼う、それは不遜な行為かも知れない、が、飼う事で猫になることが出来たのは貴重な体験として心の中に存在している。 我が家で飼われた、犬の五衛門、三毛猫の茶子兵衛、三太郎、九太郎、に感謝の言葉を伝えたいが、猫の方がひねくれた人間を否定しているのかもしれないと思うとそれ以上の事は出来ない気がしている…。 ジャンル別一覧
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